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   やまぶき 和算と歴史随想
                                                                         



         管理人の折々の記
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13.2019年の参議院選挙

 2019年の参議院選挙が7月21日の投開票で終わった。この選挙、争点がはっきりせず、勝ち負けもよく分からない。投票率が48.8%と低いのが影響したのか。安倍首相の勝敗設定ラインである「非改選も含めた与党過半数」は越えたが、自民党は改選議席66から9減らし57に留まった。立憲民主党は9から17に倍増近く伸びたが、国民民主党は8から6に減じ、民主党時代からすれば両者を合わせても寂しい。
 唯一の話題は「れいわ新選組」の活躍である。比例の特定枠で当選した2人は筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者と重度障害者の方である。肩書は介護事業会社副社長と市民団体代表とあるから障害者ではあるが社会的にも信頼されている方たちと思った。障害者目線の働きで障害者たちに希望を与えるだけでなく、人の生産性云々と言われる中で「人間の尊厳」が再認識されることになるだろう。
 「れいわ新選組」は変な話ではあるが、選挙期間中は政党要件を満たしていないためテレビに出ることは殆どなかった。が、ネットではその人気振りが報じられていた。私は原発反対集会で山本太郎氏の挨拶を聞いたことがあるが、そのときは少し異端児みたいな感じを持ったが迫力はあった。今回テレビの政見放送をじっと聞いて、政策を論理的に話すことに感心した。それからは意識してネットに出る「れいわ新選組」の記事を見るようになった。今回の投票で政党要件を満たしたので、次の衆議院選挙では今の野党の不甲斐なさに不満を持っている人達のさらなる受け皿になるだろうと思った。

 さて、「折々の記」のNo.4で「絶対得票率」のことを書いた。今回の2019参議院選に当てはめると次のようになる。(総務省のデータを使用)

 ・有権者総数:105,886,063、投票総数:(選挙区) 51,671,906
                     (比例代表)51,666,634
 ・自民党得票数と率:(選挙区) 20,030,330(38.8%)、議席数と率 38(51.4%)
           (比例代表)17,711,862(34.3%)、議席数と率 19(38.0%)
 ・自民党絶対得票率:(選挙区)18.9%、(比例代表)16.7%

 このような数字で自民党は改選議席数124の内、57(46%)を占めた。
 ただ、絶対得票率は参考程度にし、あまり使うべきではないと思う。比例代表は仕組みからして得票数と議席数は基本的には比例関係にある。
 問題は選挙区で、自民党・公明党・無所属は得票率より議席率の方が高いが、野党は逆に議席率の方が低い。与党に有利の数字になっていて、特に自民党の場合その差は12.6%で際だっている。偶然なのだろうか。



                                (2019年7月25日)


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12.横田基地とオスプレイ

 7月初めのある日、往復1時間余りの散歩コースである瑞穂町の狭山池まで行った帰りのことだった。大型米軍用機が私のいる方に北から迫ってくるようだった。まずい、逃げようと思わず走りだした、が、10mも走らずやめた。走った方角にも迫ってくるようで、とても逃げられないと思った。見上げると、軍用機は大きな轟音とともに、大きな「腹」を見せながら横田基地に向かって行った。恐怖だけが残った。今まで何回もすぐ上を轟音とともに飛んで行くのを経験しているが、この日は一番怖いと思った。

 横田基地の歴史はどのようなものか知りたいと思い少し調べてみた。次の様なものである。
 「1940年の帝国陸軍航空部隊の立川飛行場の付属施設として建設された多摩陸軍飛行場が前身。敗戦後の1945年9月4日にアメリカ軍に接収され、その後拡張工事が行われ、1960年頃に現在の規模となった。拡張に際しては、北側で八高線や国道16号の経路が変更され、南側で五日市街道が分断された。朝鮮戦争当時はB29爆撃機の出撃基地として、ベトナム戦争時は補給拠点として積極活用された。2012年3月26日に航空自衛隊の航空総隊司令部などが府中基地より移転し、航空自衛隊横田基地の運用が開始され、日米両国の空軍基地となった」。では何故「横田」なのか。
 「多摩飛行場の敷地の大部分が当時の西多摩郡福生町にあったことから福生飛行場とも呼ばれていたが、米軍が戦中より「YOKOTA」と呼称したのは、米陸軍地図サービスが1944年に作成した地図資料『JAPANESE AIRFIELDS』では、北多摩郡村山町(武蔵村山市)の大字名であった「Yokota」が、「Fussa」や「Hakonegasaki」より飛行場近くに記載されていたためと言われる」。確かに、古文書には「横田村」が出て来る。
 「横田基地の概要は、立川・昭島・福生・武蔵村山・羽村・瑞穂の5市1町にまたがり、広さは7.136k㎡(東京ドーム152個分、東西2.9km・南北4.5km)、滑走路は3,350m×60mが1本、在日米軍司令部・第5空軍司令部・第374空輸航空団などが使用。常駐機はC-130J・C-12・UH-1N・CV-22(オスプレイ)。基地内人口は約10,000人(軍人・軍属約4,000、軍人家族約6,000、日本人従業員2,200)」。

 横田基地に関する思い出を二つ記したい。
 一つ目は、中学生のとき友達と横田基地を見学したこと。そのときの古い写真を調べると、1960年5月24日と下手な字で書いてあった。中学3年生のときで、担任の斎藤先生もいたように思うのでクラスで行ったのかとも思う。カメラを持参し、F-86D、B-57、T-33などのジェット戦闘機を撮っている。脚立を使用して操縦席脇まで行って見ている。
 二つ目は、横田基地から飛び立ったジェット機が墜落したこと。高校3年生のとき八高線の下り列車に乗っていて毛呂駅に着く直前に、偶然に毛呂病院に墜落直後の「噴煙」を友達と一緒に目撃した。今そのことを調べてみると次の様なことであった。
 「昭和38年5月16日午後3時半頃、米空軍のマーチンB-57爆撃機が、毛呂病院にごう音とともに墜落炎上した。墜落したB-57は横田基地所属の双発ジェット爆撃機。搭乗していた2人の乗務員はパラシュートで脱出、軽いけがをしただけだった。病院と看護寄宿舎の間に墜落し、爆風により木造2階建ての寄宿舎の一部は壊れ、病棟、看護寄宿舎、院長宅は一瞬のうちに火炎に包まれ燃え広がった。駆けつけた病院職員や消防隊が懸命に消火に努めたが、夕方まで燃え続け、病院は全半焼した。病院は精神、内科、外科、結核などの病棟があり、入院患者1100人で職員500人が勤務していた。墜落した時の爆風で、入院患者1人が吹き飛ばされて死亡、看護婦ら14人が重軽傷を負った」と。
 駅で降りてからのことは記憶にないから、現場に近づけなかったのだろう。亡くなった人がいたというのは聞き覚えがあるが、それ以外のことはあまり覚えていない。墜落機が中学生のとき見学したジェット機と同型機とは、この文章を書いている今知った。
 横田基地所属の米軍機の事故を調べて簡単に記すと、今まで墜落が20回(昭和20~40年代が多い)、不時着・緊急着陸が12回ある。その他落下物も可成りありそうだが詳細は不明。だが、昨年の平成30年4月10日に羽村3中へC130輸送機からパラシュートが落下したのは記憶に新しい。同校のPTA会長を昔務めたことがあるので尚更印象に残っている。

 さて、基地の問題である。
 基地周辺に住む住民にとっての問題は、勿論騒音や事故の危険性に関するものであり、何度となく訴訟が起こされている。が、根本的な解決にはなっていない。騒音などに関して言えば防衛省北関東防衛局は、住宅防音工事の助成やNHK放送受信料の補助制度を設けている。我が家はどちらも該当する区域にあり、後者の受信料が半額になる恩恵は受けているが、前者の工事は受けなかった。
 一方、冒頭の一節のように飛行の怖さ・危険性は身近に感じるようになってきた。オスプレイが昨年4月に配備されたのを考えると余計だ。
 オスプレイ5機の正式配備は昨年10月1日だったが、実は半年前の4月から我が家の上空を飛ぶのを日常的に見るようになった。今では夜9時頃まで飛ぶこともある。「2024年ごろまでに計10機態勢とし、要員約450人を配置する」と新聞にある。
 このオスプレイはCV-22で、特殊作戦用で「特殊部隊の潜入などの作戦に使うため、訓練は夜間や未明に行われる」「訓練空域では夜間に山肌をはう低空飛行訓練をする」と言われる。もともと、オスプレイは事故が怖い。未亡人製造機と揶揄されている。飛んでいるのを見ると機体は大きく、それに対してプロペラは小さいように思える。ヘリモード(垂直離着陸時のモードでプロペラが上向き。騒音が大きい)と飛行モードのプロペラ角度の切替時は不安定になり素人目にも難しそうである。日米合意で制限されているヘリモードでの飛行も見られるという。もしものとき降下速度を落とすオートローテーションも機能しないともいわれている。「最新の重大事故率は、沖縄に配備されているMV22が10万飛行時間当たり3.24なのに対し、CV22は4.05と高い」と昨年の4月4日の記事にある。ところが今年の3月3日の記事は「CV22の4.05は、5.84に上がった」ことを伝え、政府の「飛行時間が増えれば下がる」という説明を批判している。日常的にこの不安の中に住むのかと思うと怖い。
 昨年の9月に横田基地日米友好祭があり、見学に行きオスプレイを間近で見た。静態展示では機体内部も公開されていたが、大変な混みようで私は離れた外から内部の写真を撮っただけだった。実際に見ると、ヘリにしてはやはり大きい。それは双発というのか特徴のある二つのプロペラがあることによるのだろうか。全体的にはそのプロペラが機体に比べてやはり小さいと感じた。
 またデモ飛行も行われた。基地上空を何周かして降りてくるとき、滞空して見学者側に機首
を下げるようなことを行っていた。「皆様におじぎをして感謝しています」というような放送が流されていた。「何に感謝するというのか」と言ってしまっては身もふたもないが。上空の遠くの方で、ヘリモードから飛行モードに、またその逆も行っていたがスムーズに行われているようには感じたが、この大きなオスプレイがもし住宅街に墜落したらと想像すると、怖いだけでは済まないと思った。
 最新のニュースは、「CV22を運用する第21特殊作戦中隊と、機体を整備する第753特殊
作戦航空機整備中隊が7月1日正式発足」したこと、そして市街地上空を飛ぶことに「安全を最優先にし、できるだけ人口の多い地域を避け訓練は承認された区域のみで行う」と特殊作戦中隊司令官が述べたことを伝えている。
 当然のことを言っているが、これだけの内容では事故を未然に防ぐという強いメッセージは伝わって来ない。見守るしかないのか。

                       
         写真は上から、
          ・静態展示のオスプレイ、
          ・同内部、
          ・デモ飛行(ヘリモード)
          ・デモ飛行(飛行モード)
                 (筆者撮影)


             (2019年7月23日)





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11.いじめ問題を考える(2)

 いじめの問題が中々頭から離れない。報道に接する度に、いじめられた子の気持ちを思うと心が痛むし、稚拙な大人の対応を知ると怒りを覚える。
 今年の4月から7月15日までの3ヶ月半の間に東京新聞で報道された「いじめ」事件は10件ある。各々の事件の最初の記事のタイトルと、その後の報道を加味して簡単にまとめると次のようなものである。()内は筆者の寸評。

①神戸市の第三者委再調査 中3自殺「いじめ認定」(4月17日)
 2016年に起きた中3女子自殺事件を第三者委員会が「いじめがあった」と認定。同級生から
 の悪口や無視、ネット上での中傷は「強い喪失感を抱き校内に居場所を感じなくなった」と
 していじめが自殺に大きく影響と認定。。市教委が調査メモを隠蔽し「遺族が傷ついた」と
 批判。市教委が設けた以前の第三者組織はいじめと自殺の因果関係を認めていず、第三者委
 委員長は「いじめの関与を低く見積もったのではないか」と述べている。
 (典型的な隠蔽体質で、市教委や第三者組織などは処罰され批判されなければならない)

②中3自殺 部活顧問が暴言か 茨城・高萩 卓球部員に「殺すぞ」(5月7日)
 中3女生徒は4月に自殺。顧問の教諭が部全体に「殺すぞ」などの暴言や激高してラケット
 を床にたたきつけたりしていた。暴言などを把握していた学校側の対応が不適切だった疑い
 あり。第三者委員会を設置して今後因果関係を調査。
 (学校の中の出来事とは思えない。学校や市教委は何故生徒の命を守れなかったのか)

③中学教諭が「いじめよう」、福島 黒板に実名 生徒不登校(5月18日)
 教諭は「生徒とは信頼関係があって冗談で書いたつもりだった」と釈明。減給6ヶ月の懲戒
 処分。
 (「いじめ」問題を理解していないのだろう)

④川口いじめ訴訟 市、違法認め情報開示へ 賠償では争う(5月16日)
 いじめに遭い不登校になった16歳の元生徒がいじめに関する情報開示を市教委に求めたら
 54枚と少なかったため提訴、市は565枚の開示を決定。市は損害賠償は争うとしている。

⑤ネットにいじめ中傷 提訴 投稿の2人に賠償請求 川口(5月29日)
 いじめに遭った16歳の元生徒がネット上の掲示板に実名で中傷されたとして、ネット上に
 書き込んだ2人を提訴。元生徒は書き込んだ発信者の情報開示をプロバイダーに提訴して書
 き込み者を特定した。中傷投稿の1人は同級生の父親と判明。
 (その父親は発信元はわからないだろうと思っていたらしい。いじめに大人が卑怯な方法
  で加担していた。いじめられた子の気持ちを全く想像できない大人がいる)

⑥大阪・吹田市いじめ1年半放置 「教委、何のための組織」両親コメント(6月22日)
 小学5年の娘が長期のいじめをうけ、市教委の対応について「何度も足を運んだのに取り
 合ってもらえず、つらく悔しい思いをした。何のための組織なのかと思った」と強く批判。
 2015年秋から1年半の間、同級生の男児5人から暴力など継続的ないじめを受け、左足首骨
 折や心因性視力障害などを負った。
 (市教委の対応は極めて不誠実だったということだろう)

⑦いじめ対応 市教委謝罪 茨城県取手中3自殺保護者らに説明会(6月23日)
 2015年に市立中3年女子が自殺。県調査委員会がいじめと認めたことにより市教委がいじ
 めを否定し続けた対応を謝罪。説明会では両親の代理人から、いじめ隠蔽の意図を当時の教
 育長に質問。「そう受け止められても仕方ないが、自殺につながるいじめか分からなかった
 」と隠蔽を否定。同級生の父親は「県の報告に書かれた事実は、最初から両親が市教委や学
 校に訴えていた内容。なぜ向き合わなかったのか説明せず、十把ひとからげに謝罪しても空
 々しい」と批判したとある。
 (両親は悔しい限りだろう。何故こうも教育委員会というのは機能しないのか)

⑧中1自殺「顧問が原因」 指導巡り遺族訴え 市教委調査へ(さいたま市)(7月2日)
 昨年8月、部活に行く途中に中1男子が自殺。遺族が30代の顧問の指導が原因の疑いがある
 と訴えている。市教委は第三者委員会を設置へ。顧問は「口調が強かったり言い方がきつか
 ったりした。至らなかった点は反省している」と答えている。その後自殺直後に学校側から
 働きかけられた「不慮の事故」とすることに同意したと母親が述べている。校長は「公表す
 ればマスコミが騒ぐ」「保護者会で遺族が説明する必要がある」と言ったというが、市教委
 の幹部は校長の働きかけはなかったと否定。
 (雲行きが怪しくなってきた)

⑨「いじめ」メモ 担任紛失 岐阜・中3転落死 同級生事前に渡す(7月5日)
 岐阜市立中3年の男子生徒がマンションから転落死。いじめがあったことを訴える内容のメ
 モを同級生が担任教諭に渡したが、それを紛失していた。いじめは5月末から激化し、
 「ビンタされ、蹴られていた」「口に含んだジュースを吹きかけられた、トイレで土下座さ
 せられていた」「計2万円位要求されていた」とも。情報が校内で共有されず学校側の不手
 際が明るみに出ている。文科省の児童生徒課長が市教委に行き事情聴取して危機感をあらわ
 にしている。同校でも整備された「いじめ防止策」は形骸化し、生徒の悲痛なSOSが見過ご
 された可能性がある、と報じている。市教委は「いじめがあった」として外部有識者の委員
 会を作り原因調査をするとしている。
 (各校にある「いじめ防止策」が機能していない)

⑩所沢 中2同級生刺し死なす(7月6日)
 刺した少年は当初「自殺をした」と説明したが、その後「自分で刺した」と認めた。「教科
 書のことでけんかになった」と供述。
 (これは、いじめを通り越しての殺人事件)

 残念な驚く内容ばかりだ。
 「いじめ」は、いじめる側も、いじめられる側も、子供が主役であり、その解決に大人たちがうまく対応できない問題である。最も大事な「子供の安全と命を守る」ことが、こともあろうに学校で出来ていない問題である。そこには大人達の身勝手な保身と隠蔽体質があり、責任逃れがある。教育委員会は何のためにあるのかという問題でもある。これらの問題は現在進行形で、悲惨ないじめ問題は後を絶たない。
 ところが、上記の10件中4件は、こともあろうに教師や親がいじめに加担している(②③
⑤⑧)。今までのいじめとは違う「いじめ」の出現か。子供の痛みを理解できない、想像することすらできない「大人になっていない大人(教師や親)」が子供のすぐ近くにいる。

 新聞記事でもう一つ気になるのは、「いじめ防止法改正案」(「いじめ防止対策推進法」の改正)の報道である。
 「折々の記」のNo.1で少し述べたが、現在、各学校や教育委員会が制定している「いじめ防止基本方針」は、2013年に成立した「いじめ防止対策推進法」(いじめ防止法)に基づいている。その「いじめ防止法」の、超党派の勉強会が昨秋まとめた改正案のたたき台は、いじめを未然に防ぐ具体策が盛り込まれていたが、4月に示された座長私案では大幅に削除された、というので問題になっているというのだ。勉強会の案は、学校いじめ防止基本計画の策定、いじめ対策委員会の設置、いじめ対策主任の新設など学校現場の取り組みを明確にしたという。一方、座長私案は教育現場の負担が増えるなどの懸念から新規の項目を削除、教職員のいじめ放置などの懲戒規定も現場が萎縮するとして削除。遺族は「子供の命を守るものになっていない」と反発しているという。改正案成立は不透明という。
 いじめから子供の命を守るために、より良い法案とすべきなのは当然だ。座長私案にはもどかしい思いがする。
 一方で、現在各学校にある「いじめ防止基本方針」(ない学校もある)がどのようにして作られ、どう運用されているか気になる。先の⑨では整備された「いじめ防止策」は形骸化したとある。かつて、私もある学校のものを詳細に読んだことがあるが、比較的良く出来ていると思う。しかし、一線の現場の先生方が議論して作ったのだろうかとの疑念がある。他校のものを読むとほとんど同じだったからである。立派な文章を作っても魂が入っていないかも知れない。先生の間で共有されていないかも知れない。機能していない可能性がある。
 いじめの防止は現場の先生や父母がいち早く気づくことから始まる。そのための防止策の文章(基本方針)であって欲しい。

                                (2019年7月17日)


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10.島倉千代子のこと

 島倉千代子(1938~2013)が亡くなったのは平成25年11月8日。翌年4月、私は墓のある品川の東海寺の大山墓地に行き、手を合わせた。
 私は子供の頃から、島倉千代子が好きだった。歌と人物とが好きだった。美空ひばりは生意気そうなので好きではなかった。島倉が一番慕っていたのが美空ひばりだったと知ったのは、ずっと後の事だった。
 何故好きになったか。子供の頃のことだから理由も何もない。島倉の「可憐」さと「声の質」が自分に合っていたということか。
 私には島倉について二つの宝がある。新聞に載る島倉に関する記事は切り抜いて保存してきた。中でも島倉自身が述べている記事は、壮絶とも思える生き様を見る思いがして貴重だ。それと少し古いが歌手生活45周年記念「島倉千代子大全集」だ。これはオリジナルレコードを収録しているCDで90曲ほど。聞くと今でも心の中で泣く曲が沢山ある。

 島倉といえば「泣き節」といわれた独特の高音での声の震えが有名だ。「竜飛岬」や「襟裳岬」「哀愁のからまつ林」等々枚挙にいとまが無いが、全部好きな曲だ。この「泣き節」は裏声とセットになって魅力を増している。悲しさ・寂しさ・切なさの詞と相まってファンとしては一番たまらない所だ。島倉自身が次のようにいう。
 「私の場合、ドレミのシの音が弱いんです。地声からファルセット(筆者注:息切れを多くした裏声)に移るときの音ですね。そこにくると、他の音の力の三分の一以下になります。その微妙な変化で、泣き節といわれる味が生きていたんですが、いまはそのために歌えない歌もいっぱいあるんです。私の歌は絶唱型ではなく細やかな節回しが多いんですよ。それが自分の特徴でもあるんですが(略)」(1999年2月、朝日夕刊)。少しだけ理屈がわかったような気もするが、島倉の歌声は、そもそも声そのものに「哀しみ・切なさ」が含まれているように思う。それが好ましいのだ。
 昔、兄が言ったことを思い出す。「島倉千代子は歌っているときに本当に泣くんだって」と。恐らく「東京だヨおっ母さん」を歌っているときのことだろう。私が小学6年の頃だ。「何ていい人なんだ」と思った記憶がある。
 今、新聞の切り抜きを見ると「東京だヨおっ母さん」について、「空襲警報が鳴ると、防空ごうに駆け込んだ記憶もあります。そんな思い出があるから、最初は歌いながら涙しちゃってたんですよ」と。そして古賀政男が「歌はね、自分が泣くんじゃないんだよ。その歌を聴いてお客様が自分の思いになって涙がこぼれた時に、それが本当の歌だよ」と教える。「だから感情を豊かに入れて涙をこぼすんじゃなくて、淡々と歌おう―そう心がけています」というが、「でも、時々、涙がこぼれちゃうこと、あるんです。その時は『涙が出たっていいじゃない?』と思って歌ってます」(2004年6月、読売)。だから島倉千代子なのだ。
 島倉の歌の魅力を私なりに記せば、「清く澄んだ高音」「細やかに変わる裏声」「意志の強さを感じさせる低く力強い声」「女の情感を表現できる歌唱力」「やさしさで全てを包み込むような歌い方」「時には母のような恋人のような雰囲気のある歌い方」等々である。
 「泣き節」もいいが、歌詞もいい。「泣き節」だから詞も当然悲哀の詞となる。女のもつ悲しみや切ないものも多いが、どうにもならない悲しさも歌っている。好きな歌の一つに、広島原爆が背景にある「ひろしまの母」がある。たまに聞くがやはり目頭が熱くなる。
   この世のいのち終わるとも/わが子を想う母の愛/哀しみ深いひろしまの/さだめを
   泣くか太田川
 旅情豊かな曲もいい。あまり知られていない曲だが「あじさい旅情」が好きだ。
   紫陽花の花咲く頃が好き/あなたの長崎紫の雨/静かに濡れた眼鏡橋二人で聞けば中
   島川の/水音さえもああ旅情をうたう

 ところで島倉の若い頃の声は特に高い。一番高い声を出しているのは恐らく「おもいでの花」の出だしだろう。歌詞の「にがく苦しい」の「に」の声だ。因みにこの部分を周波数分析してみたら、一番勢いの強い成分が3456㎐(ヘルツ)で、次が4134㎐と出た。ドレミの「ファ」の音の高音になると思うが、ソプラノを凌ぐ高い声だ。これには驚いた。

 島倉の生真面目さや努力振りについては次のようなエピソードがある。
 デビュー曲「この世の花」で作曲者の家に稽古で通ったが、「うまく歌えなくて、帰りの電車で泣いてました。その車内で読書している人がいたの。ニコッとしたり、泣きそうになったり、色々な顔をしながら読んでいた。それで私は『詞を読もう』って決めたんです。詞をかみしめて、かみしめて。それから歌に入っていく。だから譜面も自分で書くことにした。ふつう平仮名で『あかく』と書くのを、『赤く』と書いてみたんです。すると詞が伝わってくる」(2004年6月、読売)と。島倉のいいところだ。ついでに言えば島倉の歌は言葉を明瞭に発声しているのもいい。語り(セリフ)もうまく好きだ。
 島倉は「人生いろいろ」の通り、私生活でもまさに波瀾万丈の人生だった。『島倉千代子という人生』(田勢康弘著、平成11年)が発売されたとき、すぐに購入して通勤電車の中で読んだ。そこには私が知らない多くの私生活のことや、人を疑う事を知らない島倉の悲劇、それに歌に対する強い思いが書かれていた。その一つ一つのことが「島倉千代子」を形作っていたのだと思った。
 歌以外のことで記せばこうだ。幼少時の腕の大怪我、弟との断絶、プロ野球選手との結婚・離婚、中絶体験の発表、ファンが投げたテープで失明の危機、実印を預け多額の借金とその返済、姉の自殺、乳癌との戦い、などなどである。
 完璧主義の島倉は仕事に対しても厳しい。その結果色んな事態を引き起こす。忙しすぎて「失踪」したり、「(プレッシャー)で潰れそうになり、本番直前、自宅の2階から飛び降りそうになって、母に髪の毛を引っ張られて助かったことも」(2004年6月、読売)という。
 多額の借金の返済は大変な努力の結果だが、その感想は意外なものだ。「借金は10年ほどかけて全部返しました。知人を信頼してその人の手形に裏書きしたんです。人からは『だまされたんだ』と言われました。でも『自分が至らなかったからだ』って思うことにして、私の中では解決しています。人を恨んでも結局、自分が惨めになるだけ。私は『過去のない人間』っていう感じです。前に進むことしか考えていません。今、振り返ると私の人生は、どん底に落ちることの繰り返しですね。でも、その時に自分のすべてを捨ててますから、はい上がれる」(2004年6月、読売)。凄いとしか言いようがない。
 歳とともに歌も変化してくる。歌に自分の姿を二重写したものが大ヒットする。「人生いろいろ」「人生はショータイム」などである。「バカだっていいじゃない、ドジだってそんなのいいじゃない」とあっけらかんに歌うようにもなる。島倉はいう。「その時々に歌で救われました。いまも歌えていることが何よりもうれしいですね」(1999年3月、朝日)。
 最初の癌は乳癌だった。「がん撲滅運動をやっている私が、なぜ?」、「乳癌の手術後、不思議なことに大けがで子供のころ失った左手の感覚が戻りました。それまで持てなかったお茶わんが左手で持てるようになったんです。先生に話したら、『神様はつらい思いもさせたけど、とってもいいことも残しておいてくれましたね』って」(2004年6月、読売)。いい話しだ。

 島倉は亡くなる3日前に「からたちの小径」をレコーディングした。そのことが亡くなったときに話題になり多くの人が感動した。葬儀では、「私の部屋の中にスタジオができて、そこで私はできる限りの声で歌いました。(略)人生の最後に素晴らしい時間をありがとうございました」と島倉の肉声テープが流れたという。見事に人生を全うした。
 島倉の訃報を伝えるテレビ放送の中で、インタビューに答えていた60過ぎと思われる男性は「男だって泣きたいときがある、だから島倉千代子がいいんだ」と言っていたのを思い出す。女々しい話とは違う。歳をとったら「強気」ばかりでいる必要もない。
 東海寺の大山墓地は少し小高い所にある。沢庵和尚や賀茂真淵、渋川春海一族の墓があり何回か見学に行っている。島倉の大きな墓は一番奥まった所にあり、正面に「こころ」、左に「寳婕院千代歌愛大姉」とあり、裏面には「島倉千代子」と並んで「島倉 忍」とある。「忍」はこの世に生まれ出なかった子供に付けた名前だ。戒名は「ほうしょういんせんだいかわいだいし」と読むとネットにある。墓の東側下を在来線が、西側を新幹線が走り少しうるさい。お千代さんもおちおち眠れないのではと心配になる。

                                (2019年7月12日)


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9.車を運転していて思うこと

1.車に貼るマーク
 車を運転しているとき、前を走っている車に「車椅子マーク」が貼ってあったので何気なく助手席の妻に、「あのマークは身体障害者が乗っていることを示しているんだよね」と言ったら、「違うわよ、身体障害者の人が運転しているのよ」と言われてしまった。
 帰宅後に調べると、正式名称は「国際シンボルマーク」で、「障害をもつ人々が利用できる建築物や施設であることを示していて、車いすの人に限定せず障害を持つすべての人が利用出来る場所に表示されるもの。自家用車に貼られているのは本来の趣旨とは違う使用法です」、とあった。少なくとも妻が言うようなことではなく、道路交通法上の効力もないようだ。ただこのマークを付けたということは障害者が乗っている可能性が高いし、駐車場などでこのマークを見たら障害者の利用に配慮が必要なのは言うまでもない。
 さらに調べると、法律上、運転者が表示するマークには4つあって、「初心者マーク」は表示義務があり違反規定もある。「聴覚障害者マーク」(上段の図)も同じ。一方、「高齢者マーク」(中段の図)や「身体障害者マーク」(下段の図)は表示は努力義務(罰則規定なし)だという。勿論マークは周囲の車に注意を促し運転者を保護するのが目的だが、マークを表示して運転しているときは、やむを得ない場合を除き、進行している車両へ「側方に幅寄せ」や「割込み」をした場合は違反行為になる、とある。
 知らなかったマークや知らなかった法律上の扱いがあり、ちょっとビックリした。

2.わかりにくい交通標識
 我が家の近くに図のような丁字路があり、横断歩道の信号には「夜間押しボタン式」の標識がある。今まで車で小さい道路から大きい道路に出るときに、横断歩道の信号が赤だと車を停止し、青になるまで待ってから右折(左折)していた。横断歩道の信号が赤なのに右折(左折)している車を何回か目撃しているので、その車は違反しているのだと思っていた。が、最近になってどうもわかりにくい信号なので少し考えてみた。つまり、小さい道路には一時停止の標識があるので、横断歩道の信号の赤青に拘わらず、一時停止してから注意しながら出て右折(左折)して良いのではと考えた。試しにネットで「夜間押しボタン式」で検索すると、考えたことは正しいことがわかった。とっさの判断ではわかりにくい標識で、ちょっと迷う。

3.速度標識
 ブレーキとアクセルの踏み間違いによる悲惨な事故が相次いでいることや、加齢とともに視力も少しづつ落ちてきているので、運転には増々慎重にならざるを得なくなってきている。そんなことから運転速度も注意を払っていて、昔より速度標識を意識するようになってきた。運転は最高に出しても「法定速度+10km」位内の速度で運転するようにしていると、別の問題が出てきた。後続の車にすぐに追いつかれることが多くなったのだ。「煽り運転」とは違うのだろうが、明らかに「はやく行ってよ」という圧力を感じる。その圧力には負けないが、運転の「走る流れ」というのも理解するので、ちょっと複雑な気分だ。
 ということは速度オーバー(例えば、「法定速度+10km」以上)している車が如何に多いかということでもある。世の中もっと「ゆっくり走る」という訳にいかないものか。


4.自転車と車
車を運転していて怖いと思うことの一つは、自転車が車道の左側を走っているときに追い越す場合だ。夜間や道路状況が良くないときに追い越す場合は、速度を落としながら右側に意識的に寄って自転車を避けるように運転し、対向車がある場合は追い越さないようにしている。自転車が車に対向して左前方から向かって来るのは論外(自転車側の違反)だが、特に怖いと思う。
 はっきり言って車の運転側から見ると、自転車が車道を走ることに危険を感じることが多い。
 自転車は、「道路交通法上は軽車両であり、車道の中央から左側部分の左端に寄って通行する」こと等は無論知っているが、中央から左側部分の左端が自転車にとっていつも安全ではないことを、車の運転者が知っているから余計怖いと思うのだろう。自転車が石ころなどの障害物に当たり、車道側に倒れることやフラフラすることなどを心配するのだ。
 私は70歳を越えているから道路交通法上は歩道を自転車通行できる。できるだけそうしている。「13歳未満の子供や70歳以上の高齢者、身体の不自由な人」は歩道を自転車通行できることになっているが、このことを知らない人も多いのではないか。
 幅の広い立派な歩道に歩行者が全くいないのに、通行量の多い車道の左側を自転車も走っているのを見たり経験したりすると、自転車は歩道を走ってくれないかと思ってしまう。
 「自転車は歩行者に最大限の注意を払いながら歩道を通行」というのが単純明快で一番良いと思うのだが、これではどこからか叱られるのか。
                                (2019年7月10日)



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8.布川事件の賠償請求訴訟に思う

 少し時(とき)が経過したが、布川(ふかわ)事件で再審無罪が確定した桜井昌司さん(72)が国と県に1億9000万円の損害賠償を求めた訴訟(国家賠償請求訴訟)の判決が5月27日に東京地裁であった。裁判長は検察官の証拠開示の拒否や公判での警察官の偽証を「違法」と認定し、国と県に対し連帯して7600万円を支払うよう命じ、また、これらの違法行為がなければ「遅くとも控訴審で無罪判決が言い渡され、釈放された可能性が高い」と指摘した、と新聞記事にある。
 調べると第2審の控訴審は1973年だったから、仮釈放された96年の23年前に釈放された可能性があるということだ。重い内容だ。

 布川事件とは、「1967年8月、茨城県利根町布川の大工職人が自宅で絞殺され、県警は別の窃盗容疑などで逮捕していた桜井昌司さんと杉山卓男さんを強盗殺人の疑いで再逮捕した。2人は公判で無罪を主張したが、70年に無期懲役の判決があり、78年に最高裁が上告を棄却して確定した。2人の再審請求に2005年に再審開始を決定。11年5月に無罪判決が言い渡され確定した」というものだが、別件逮捕後に警察の留置場(代用監獄)での長時間に及ぶ取り調べの末、虚偽の「自白」を引き出し、検察は物証がないまま起訴した事件といわれる。

 この国家賠償請求訴訟は、無罪が確定した翌年の2012年11月に冤罪の責任を追及するため桜井昌司さんが起こしたものだが、もう一人の杉山卓男さんは加わっていない。杉山さんの著書『冤罪放浪記 布川事件 元・無期懲役囚の告白』(2013年、河出書房新社)を読むと切羽詰まった事情がわかる。『「杉山さんは、なぜ国賠をやらないんですか?」と、いろいろな人から聞かれます。国との闘いは、遺された自分の人生の全てを懸けて挑まなければならない「10年戦争」です。妻や息子と過ごす時間を犠牲にしてまで、いつ終わるかもわからない、長い長い裁判を、私は闘う気持ちにはなれないのです』。
 29年間拘束され、96年に仮釈放後も無罪を求めて闘い続け、人生の大半を台無しにされた人の叫びである。そして杉山さんは2015年に亡くなった。

 国家賠償請求訴訟の判決前日の桜井さんの奥様のブログを偶然見つけた。その要旨は次のようなものである(桜井さんは仮釈放後の98年に支援者の方と結婚されている)。

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 「布川国賠裁判の判決日」(2019-05-26)
 明日、6年6ヶ月かかった布川国賠裁判の判決が東京地裁(103号法廷 16:00)で出ます。
 冤罪布川事件が何故起こったのか? 取り調べの違法性、証拠隠し、捏造、裁判での捜査官の偽証等に加え、再審に至っては、検察が再審開始決定後も二度にわたって不服申し立てをして、無実の者が最も願う「一日も早く裁判をやり直して欲しい」との願いに背を向け、いたずらに時間を引き延ばし、人生を奪い続けたこと等々…。県(県警)、国(検察)の責任を裁判所がどのように判断するか。裁判所には、布川事件のみならず、全国で冤罪とたたかい、再審に望みを持って頑張っている人たちに、何らかの希望に繋がる判決内容であって欲しい、そう願っています。
 夫と杉山卓男さんが、別件逮捕から強盗殺人事件の取り調べを受け、無理やり「自白」をさせられ、再審で無罪判決を得るまでに費やされた時間が43年と7か月。
 今回の民事裁判で6年6か月。ずっと「走り続けて来た」夫に、裁判所は公正な判断の基に、しっかりと答えていただきたいと思います。
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 冷静に素直に事実とその思いを書かれている文章と思う。困難に立ち向かう強さがなければこのようには書けない。

 判決で裁判長は、『県警の警察官が取り調べ段階で桜井さんに、▽母親が早く自白するように言っている▽被害者宅近くで桜井さんを見たという目撃者がいる-などと発言した内容は虚偽で「欺くような取り調べ手法は違法」と判断。ほかにも供述の誘導があり、「限度を超えた取り調べがあった」と非難した。警察官が取り調べを録音したテープの存在を隠し、公判で偽証したとも批判した』とある。そして新聞の社説は、『損害賠償を認めた根拠には、警察・検察側の不公正の数々が積み重なっている。何より判決が証拠開示の在り方について、「裁判の結果に影響を及ぼす可能性が明白なものは、被告に有利か不利かを問わず法廷に出す義務がある」と述べた意義は大きい』と述べている。
 警察・検察は捜査段階とその後の裁判で意図的な不正を行っていたということだ。裁判官も警察・検察のウソを見抜けず過酷な判決を出していたことになる。犯人にされた人はたまらない。証拠開示の意義は大きいというが、「裁判の結果に影響を及ぼす可能性が明白なものは、被告に有利か不利かを問わず法廷に出す義務がある」ということが当たり前ではなかったのだ。司法の現場はそんなに遅れているのかと唖然とする。


 先の『冤罪放浪記』の中で杉山卓男さんは次のようにいう。
 『冤罪を生んでしまった最大の原因は、警察の強引な取調べでもなく、私と桜井のウソの自白でもなく、検察が証拠を隠していたことだと、私は考えています。(略)もし、検察が最初から証拠隠しさえしていなければ・・・・・・。そのことを判決文で触れてもらいたかったんですが、裁判官は逃げましたね。検察の証拠隠しと、無実の人を有罪にしてしまった裁判所の責任については、最後まで語られることはありませんでした。再審公判の中で弁護団は、裁判官と検察官に対して謝罪を求めました。私への本人質問でも、「どう思うか」と神田裁判長から聞かれたんですが、「もし、謝罪する気があるんだったら、桜井の亡くなった親の墓の前に行って謝ってくれ」というのが、私の答えでした』

 警察も検察も未だに謝罪していないという。国家賠償請求訴訟の地裁判決に対しては「判決内容を精査し今後の対応を検討したい」というのみである。
 一度出た判決を覆すことの難しさと、その困難を乗り越えて覆した後にも試練が続く。冤罪事件を引き起こす警察・検察は一般市民の感情とは相容れない。
                               (2019年6月21日)



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7.プラスチックごみ

 作家の水上勉にインタビューした50年前の新聞記事の切り抜きを持っている。「失われる『日本の心』」と題した記事の中に、「プラスチック文化」という項目があり、水上勉は次のように述べている。水上49歳の頃である。
 「プラスチックというのがあるでしょう。どの家でも便利に使っている。けど、考えてみると、このプラスチックほど恐ろしいものはない。あれは土にもどらない。
 仏教に四大不和合という言葉があって、地水火風の四大が和合しないと、つまり〝死〟なんですが、万物は死によって土に帰る、そして再び草木生物を繁栄させる、死んで糧(かて)となる。滅びも美しい。だから死もまた営みなんです。それがあのプラスチックにはない。生活精神を破壊しています。便利なものにはちがいないが、何が文明の産物だといえますかね」(「四大」は「しだい」と読むのか)(昭和43年10月10日付、読売か)

 「土にもどらない」という言葉が印象的だったのか、切り抜いてスクラップブックに貼り付けたのを覚えていた。23歳のときだ。最近家の中を探してそのスクラップブックを探し出した。私は若い頃水上勉の小説に熱中した時期があったが、久しぶりに水上勉のことを思い出した。

 水上勉の話を読んで私は、自然の世の中に存在しないものを科学の力で創出したら、その責任として不用になったときに自然に悪影響を与えないで回収できる(戻す)方法も同じ科学が創出しておかねばならない、と改めて思った。そうでないと結局、人は不幸になるということでもある。
 このことはプラスチックに限らず、原発にも言えることだ。

 プラスチックごみ(以下、「プラごみ」と省略)の問題が指摘されて長いが、事態はますます深刻になっているようだ。特に言われるのが海洋プラスチック問題だ。
 環境省の「海洋プラスチック問題について」(平成30年7月)を見ると、陸上から海洋に流出したプラスチックごみ発生量(2010年推計)は、1位が中国で353万t/年、2位がインドネシアで129万t/年、3位がフィリピンで75万t/年、4位がベトナム73万t/年、5位がスリランカ64万t/ 年、そして20位がアメリカ11万t/年、30位が日本6万t/年(推計量の最大値を記載)とある。このデータによれば中国・インドネシアが圧倒的に多いが、東南アジアも多い。
 海洋プラスチックで特に問題になるのは、5mm以下のマイクロプラスチックが生態系に及ぼす影響である。プラスチックを食する海洋生物はそれ自体も問題だが、巡り巡って人が口にする。プラスチックには様々な添加剤が含まれていて、有害化学物質も含まれているからだ。

 現状の問題把握や対応については、ネット上にある「プラスチックの時代からの脱却を」(東京農工大の高田秀重先生)が大いに参考になると思った。
      http://pelletwatch.jp/micro/
 同記事の要点を簡単に記したい。
<状況>
・全世界で1年間に3億トンのプラスチックが生産されている。これは世界の石油産出量の
 8%に相当。
・レジ袋だけでも一人年間300枚、そして毎日1世帯から1kgのプラごみが発生する。
・全世界で毎年800万トンのプラごみが海に流入していると推定。
・世界の海を合計すると27万トンのプラスチックが漂っていると推定
・多くの海の生物がプラスチックを餌と区別をつけられずに、誤飲・誤食している。
・プラスチックには、様々な添加剤が含まれている。プラスチックをやわらかくするための
 薬剤、プラスチックが光で劣化しないようにする薬剤、プラスチックが燃えないようにす
 る薬剤など様々。それらの添加剤には環境ホルモンなどの有害化学物質も含まれている。
・プラスチックには周りの海水中から化学物質が吸着し、濃縮されていく。プラスチックは
 周りの海水に比べて百万倍程度に汚染物質を濃縮している。
・5兆個のマイクロプラスチックが世界の海に漂っていると推定。膨大な量。もともと海には
 存在しなかったプラスチックが、海水中に溜まってきている。マイクロプラスチックはプラ
 ごみが海岸や海の中で、紫外線や波の力で小さくなり、ぼろぼろになったものが主な起源。
<対応>
・使い捨てプラスチックの削減を!(不必要に使っているプラスチックを減らそう)
・現在の技術を使えば、木や紙に機能を負荷して、不便さを感じることなく使うことも可能。
 紙や木などのバイオマスを上手に使う技術や代替技術の開発も大事。
・日本のプラスチック廃棄物の発生量は年間960万トンに上り、アメリカ、中国についで世界
 第三位。日本では、この半分以上を焼却処理している。しかし、焼却によるダイオキシン等
 の有害化学物質を放出しないような高性能な焼却炉の建設には多額の費用がかかる。例え
 ば、人口数十万人の市の焼却炉の建設に100億円かかりその寿命も30年程度。

 一方、プラごみに限らず、ごみについては「3R」をよく耳にする。市のごみ収集のマニュアルにも載っている。REDUCE(減らす)・REUSE(再使用)・RECYCLE(再利用)で、上記の<対応>は特にREDUCEが基本という訳だ。一人一人の問題でもあり、自分の行動を見直す必要がある。
 最近は「4R」というのがあって環境先進国ヨーロッパのゴミ処理の原則で、この4Rによってゴミを大幅削減することに成功しているともいう。4Rは3RにREFUSE(やめる)を加えたものだ。日本にはREFUSE(やめる)がなく、またRECYCLE(再利用)ではなく同じものを使い続けるREUSE(再使用)の努力も必要という。その通りと思う。

 ところで最近のニュースは、日本などからマレーシアに違法に持ち込まれた450トンのプラスチックごみを輸出元の国に強制的に送り返すとマレーシア政府が発表したと伝えた。プラスチックごみは日本やアメリカ、中国などから持ち込まれていて、リサイクル可能な資源として輸入されてきたが、実際には汚れてリサイクルできない家庭ゴミや電子廃棄物であったという。
 このほかにも2550トンのプラスチックごみの調査を進め、違法が確認され次第送り返すとしている。中国が一昨年、プラスチックごみの輸入を原則禁止してからマレーシアへの持ち込みが急増し、リサイクルできるものだけを受け入れるよう規制を強化してきた。しかし表示を偽った違法な輸入や不法な投棄があとを絶たず大きな問題となっていたという。マレーシアの環境相は「マレーシアが先進国のゴミの集積場となってはならない」と話し、違法なごみの持ち込みは厳しく取り締まる、と報じている。
 最終処分も手前勝手には行かず、より深刻になってきた。REFUSE(やめる)が必要になってくる。

 そして、もう一つのニュース。
 6月に大坂で開かれるG20に向けて、政府は海洋プラごみ削減政策でけん引役を目指す旨の記事を幾つか見た。それは、昨年6月カナダで開かれたG7サミットで海洋プラごみ削減の数値目標を盛り込んだ「海洋プラスチック憲章」への署名を「実効性に欠ける」として政府が見送り、国際社会から日本は後ろ向きだと批判されたことが背景にあるという。政府は今回のG20で環境先進国としての巻き返しを狙うという訳だ。
 6月1日の記事は、G20で「2050年に海への流出をゼロにする」との目標への合意を目指す方針を報じている。「生態系の影響を防ぐ対策が急務だが、米国は厳しい取り組みに難色を示すと予想されるほか、環境問題に熱心な欧州の国はより踏み込んだ目標を求める可能性もあり、日本の交渉手腕が問われる」とも述べている。
 難問に違いないが、少しでも具体策で前進することを願いたい。

                     (2019年6月2日)



                「海の声新聞」
 5月30日はごみゼロの日とか。それに因んで同日、東京新聞に同社広告局による3頁に及ぶ(広告)記事が載った。海洋プラスチック問題についてのもので、「海が言葉を持ったらぼくらに何を言うだろう。人間が生み出すプラスチックごみが生き物の命を奪っているという悲しい事実。何も言わずに傷ついていく海に代わって大きな声でお伝えしたい、と思いました。つくったのは、およそ縦50m×横35mの史上最大級の新聞。砂浜に小さな溝をつくって描いた自然に還る新聞です。汚してしまったのは人間。けれど、美しくできるのも人間だと思うから。今日はごみゼロの日。一緒に考えてみませんか」とあります。どう作ったかをネット調べると、「制作日数はのべ11日間。千葉県飯岡海岸の砂浜に描きました。サンドアーティスト保坂俊彦さんの指導のもと、地元住民の方や学生の方など、多くの人とつくりあげていきました」とありました。
 その「新聞」の内容は次のようなものでした。わかりやすく良い文章です。


 海は何も語らない。だから、代わりに伝えようと思う。いま、地球の海で多くの生物の命が奪われつづけている。原因はプラスチックだ。ビニール袋、プラスチックボトル、発泡スチロール…暮らしに身近なプラスチックが年間800万トンも川や海に捨てられ、ゴミとして漂う。プラごみを飲み込んだり体に絡ませたりして、ウミガメや海鳥、アザラシ、魚など約700種もの生き物が傷つき命を落としているのだ。
 やっかいなのは、一度海に流れ出したプラスチックごみは容易には分解されず数百年もの間、負の遺産として残り続けることだ。分解に必要な年数はプラスチックボトルで約400年。釣り糸なら約600年と途方もない年月だ。その過程でプラスチックごみは長い時間をかけ、太陽の紫外線や波しぶきで細かく砕かれる。5ミリ以下の微小な、「マイクロプラスチック」となれば、生き物の体内へ気づかぬうちに取り込まれてしまう。その結果がどんな影響をもたらすのかはまだ明らかになっていない。
 プラスチックごみは増加の一途をたどっている。このまま私たちが何の改善策も取らなければプラスチックごみの量は海にいる魚の量を上回るとさえ言われている。私たち日本人にも大きな責任がある。日本の一人当たりのプラスチックごみの発生量は世界第2位。この現実を止めるためにもいま海で起きていることにしっかりと目を向けなければならない。経済の成長や便利な生活を優先するあまり無視にしてきたものについて思いを馳せなければならない。ごみを出さないこと。再利用すること。声をあげること。考え続けること。やるべきことはわかっている。多くの恵みや喜びを与えてくれている海に、私たちは何を返すことができるだろう。

                                    (2019年6月5日)


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6.高齢者の運転事故とナルセペダル

 2019年4月19日、東京・東池袋の都道で87歳の高齢者が運転する乗用車が約150メートルにわたって暴走し、歩行者らを次々とはね、自転車の母と娘2人が死亡、運転者を含む男女8人が重軽傷を負った。亡くなった母子は31歳と3歳だった。何とも言い様のない悲惨な事故で、亡くなった母子が気の毒でならない。加齢とともに私はこのような悲惨な事故のテレビ報道はまともに見られなくなってきたのだが・・・。
 22日、夫は「最愛の妻と娘を同時に失ってからきょうまで、なぜこのようなことになってしまったのか訳が分からず、いまだ妻と娘の死と向き合うことができません」と心情を吐露したという。その後の夫の会見は失意の中でも、「少しでも運転に不安ある人は、車を運転しないという選択肢を考えてほしい」と訴える姿には唯々頭が下がる。
 運転者は警視庁の任意の調べに「アクセルが戻らなくなった」と話しているというが果たして事実か。ブレーキとアクセルペダルの踏み間違いの可能性は大きい。運転者は旧通産省工業技術院の元院長というからそれなりの人物だったのだろうが、事故に関しては無関係だ。功成り名を遂げた人の最後は惨めなものになった。
 ネットを少し見ると、運転者の呼称を被疑者扱いしないマスコミの報道を揶揄したものもある。運転者も入院していて、警視庁は回復を待って過失致死傷容疑で事情を聴く方針というからそれを信じたい。
 運転者は駐車場にうまく車を止められない様子を見られているし、また「運転をやめる」と話していたという。足を悪くし杖を使って外出していたともいう。運転をやめなければならない状況にあった訳で、妻や家族はどう考えていたのかが問われる。
 高齢者運転の悲惨な自動車事故は珍しいものではなくなってきている。高齢者運転とは75歳以上かと思っていたら、警視庁によると、「高齢運転者とは、原付以上を運転している65歳以上の者」というから、73歳の私は無論該当する。昨年、右折禁止で反則切符を切られた。標識が眼に入らなかった訳で自戒すべきことだ。
 警視庁の高齢運転者の交通事故発生状況は、この10年間で見ると件数は減じているが事故全体に占める割合は増えている。具体的には平成21年は6,883件で事故全体の12.2%だったが、平成30年は5,860件で同18.0%となっている。違反は安全不確認が最も多く38%、人的要因は脇見や考え事などによる発見の遅れが81%だという。
 昨年3月道路交通法が改正され、75歳以上の免許更新時や、一定の違反行為をした際の認知機能検査で、「認知症の恐れ」と判定された場合、医師の診断が義務化となった。さらに認知症だと診断されれば、免許取り消しの対象にもなる。
 免許の自主返納は大事な事だが、具体的にどういう状況になったら返納するかは、車の様々な必要性や、それに運転技術の過信等から難しい問題でもある。一つ言えることは自分で判断せず、妻や子供、周辺の人達の意見に素直に従うことだろうか。75歳以上の免許証保有者は600万人弱、その自主返納率は5%と言われる。未だ未だ少ないということだろう。

 ところで、高齢者運転の自動車事故の原因の一つにブレーキとアクセルペダルの踏み間違いがある。この踏み間違いを解決した「ナルセペダル」について6年位前に私が書いた文章がある。次のようなものである。
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 AT車のブレーキとアクセルのペダルの踏み間違い事故は、一説には年間6,000件発生しているという(2009年)。悲惨な事故も多い。この踏み間違いの問題を解決しようと、工夫を凝らしている地方の小さな会社の社長さんを紹介しているNHKテレビを見た。熊本県の産業機材メーカーの鳴瀬さんという、70歳台も半ばになろうとしている人が開発した「ナルセペダル」というものだ。
 今までの車が、ブレーキもアクセルも共に踏み込む構造になっているところに本質的問題があるというのだ。ブレーキとアクセルという正反対の操作が、同じ右足を踏み込むということで為されるのがそもそもの間違いだというのだ。これは欠陥のあるメカニズムと言っているのに等しいとさえ思える。反論できないことだ。
 ナルセペダルはアクセルとブレーキを一体化させ、本体がブレーキペダルで、右側の白いアクセルバーを足を右に傾けることによって速度を調整する構造になっている。つまり、ペダルを踏み込めば必ずアクセルは外れ(戻り)、同時にブレーキが効くという優れものなのだ。
 導入を検討しているあるタクシー会社が、ナルセペダルを試験的に取り付けて運転している様子が写し出された。担当の運転手の評価は上々であった。完成度は高いようだ。そのタクシー会社は運転手の高齢化を心配して、導入を検討しているとのことだった。

 インターネット上の記事によると、鳴瀬さんは20数年前、オートマチック車のアクセルをブレーキと間違って踏み続け、車は暴走。幸い事故は免れたが「とっさのときに人は足を突っ張る。アクセルとブレーキが同じ動きなのは危ない」と実感、安全なペダルの開発に乗り出した。1991年に試作品ができ、特許を申請。大型のブレーキペダルにアクセルバーを取り付けた。ペダルに足を乗せ、右側のアクセルバーを左右に振り速度を調整、ブレーキは通常通り踏む。アクセルとブレーキの作動方向が違うため、間違いが起きない、と言っている。
 また、ナルセペダルを使用しているある大学教授は「運転しやすく安全なのに、普及しないのはおかしい」という。確かにこの優れものは何故普及しないのだろうかと思う。ナルセペダルの歴史がホームページに載っているので見てみると意外なことがわかる(今は見当たらない)。

 1988~1990年 AT車事故の多発で新ペダルを構想
 1990年 最初の特許出願
 1991年 最初の試作品完成、運輸省担当安全部に相談、トヨタ自動車に最初の売込み
 1993年 熊本陸運局より改造申請が承認、公道走行が可能となる
 1994年 新聞・雑誌等に紹介される
 1997年 三菱自動車で走行テストを受ける(構造の基本性能は評価されたが実用面での性
     能に疑問点指摘)
 1998年 マツダ自動車へのプレゼンを実施(実用性能評価を得られず)
 1999年 販売中止(アクセルケーブル交換時の技術問題をクリア出来ず)
 2000年 トヨタ自動車が試乗調査
 2002年 新型モデル発売

 略記しているので少しわかりづらいかも知れないが、要は鳴瀬さんは普及のためにやるべきことをやっているのだ。自動車メーカが一緒になって検討していれば、とっくに高品質低価格のものが市場に出まわり、起きなくてもよい事故がなくなり、安全に寄与していた可能性が高いと思うのは筆者のみではないだろう。自動車メーカは積極的ではないのだ。自動車メーカの対応には、「欠陥」を認めたくないというメーカーの論理が透けて見えるような気がする。自動車メーカの言い分は、このような問題は「センサー技術」で解決したいと言っていたようだが、それは行く手の障害物との距離を測り、衝突を避ける技術であり、しかも最近の話でもあり、それまではどうであったかの姿勢は問われる。勿論、そういう技術も併用して二重に安全化するのも良いだろう。
 国も保険会社も優遇処置を設けるなどして、後押しして欲しいと思うのである。
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 ナルセ機材有限会社のホームページの「メディア掲載・催事出展情報」を見ると、それなりにマスコミ等に取り上げられているが、この製品がヒットしたというような状況ではない。「ごあいさつ」の中で、『開発のきっかけは、私自身の「踏み間違い事故」でした。交通事故の悲惨さ、その発生件数の多さは、皆さんもご承知のとおりです。「1件でも、事故はあってはならない。起こしてはいけない。」という願いを込め続けて開発から20数年が経ち、普及台数は、まだまだ300台超ですが確実なる手応えを年々感じています』とあり、健気(けなげ)である。ナルセペダルはもっともっと社会から注目され活用されなければいけないと思う。
                                (2019年4月26日)



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5.さくらの開花予測式

 3月になると桜の開花がいつになるか、テレビでもラジオでも新聞でも話題になる。日本的で平和を象徴するような、うきうきする話だが、花粉がなくモヤッとした天候でなければ、さらに良いとも思う。
 かつて、「紅葉の見頃」を予想する式に出会ったことがあった。では、「桜の開花」を予想する式もあるのだろうかと思いネット検索すると、これがすごい。満載なのだ。気象庁にアクセスすると色んな情報が得られる。
 それを述べる前に、すでに忘れてしまった「紅葉の見頃」予想式を調べてみたら気象庁の「関東地方の紅葉の見ごろ予想」(平成19年9月)に次のような式があった。昔見た式と同じなのか自信がない。
 「 10 月1日からの通算日数(y)=係数1 × 9月の平均気温(T)+係数2 」というもので、新しい予測式
   「 y= 4.62 × T ― 47.69 」
に修正していた。「新しい予測式では、従来の予測式に比べ5日~10日程度見ごろ時期が遅く予想されることになります」「例年の見ごろ時期についても見直すこととし、新しい予測式に9月の月平均気温の平年値を代入して算出された期日に前後7 日を併せた合計15 日間を例年の紅葉の見ごろとしました」という注釈もあった。単純な式でわかりやすいが物足りない。因みに青梅の9月の平均気温21.6℃を代入すると、yは11月21日で、見ごろは14~28日となるが、適用範囲が広すぎる。
                                 
 さて、「桜の開花」予測式だが、染井吉野を対象としたわかりやすい方法では「15℃の方法」、「400℃の方法」、「600℃の方法」というのがある。何れも気温の累積のみで予測するものだ。
①「15℃の方法」
桜の咲く気温は15℃と言われるので芽が成長する速度として、2月1日から15℃になった日を数えて、合計で23日か24日なる日を開花日とするもの。
②「400℃の方法」
1日の平均気温の合計が400℃に達したら開花するというもので、2月1日から1日の平均気温を毎日足していき、400℃になる日を開花日として予想するもの。
③「600℃の方法」
 ②で平均気温ではなく最高気温を用い、その累積が600℃になる日を開花日として予想するもの。因みに今年の「青梅」の場合に適用してみると3月21日に丁度600℃になり、これは東京の開花日と同じだった。
                                    自宅近くの標本木の看板

 染井吉野が開花するには上記の「春の気温上昇」以外に、「冬の低温になる寒さ」が同じくらい重要だといわれる。花芽(かが)という花の元になるものが夏につくられ、秋に休眠状態に入り、その後冬に2~12℃の間で800時間以上経つと休眠から目覚めて開花の準備に入り(平均すると2月1日頃)、それから開花準備に入って「春の気温上昇」の条件により開花が始まるという理屈らしい。
 ところで、気象庁は2009年を最後に全国的な桜の開花予想発表を終了している。民間の気象会社が台頭してきた為らしいが、気象庁が行ってきた桜の開花予想に関するものは、「それまで全国的異なる方法で行われてきた開花予想を、植物の成長と気温関係に着目したデータ処理によって統一的な手法で行うこととしたものである」という。計算式は次のようなものである。DTSは温度変換日数といわれるもので、「ある温度における1日分の生長が15℃に換算すると何日分に相当するかを示す量」という。
       参考資料③
       
 Ti、Tsは絶対温度(摂氏温度+273.15)で、標準温度は摂氏15℃である。従って、その日の平均気温の摂氏が15℃ならTi-Ts=0となり、DTS=1となる。
 実際の開花日予測は、「日平均気温から上記の式にあてはめて求めたDTSを、積算開始日から積算し、所定量に最も近い値になった日とします」とあるだけで、具体的な数値は示されていない。あるホームページには「所定量」に関して次のように表されていた。
          参考資料②

 この式を用いた予想開花日と開花日との差は、「平均すると前後2・3日ですが、桜の開花予想の発表後、開花までの天候や気温経過の推移により、予想開花日と開花日の差が大きくなる場合もありました」とある。データは少し古いが一例を挙げれば、2005~2009年の全国63地点平均の5年間の1回目の予想は3.1、2.0、2.2、5.3、3.0であり、3回目の予想は3.0、1.9、1.5、1.5、2.3であったという。自分で具体的な数値を求めて計算してみるのも一興かも知れない。
 ネットで情報を探していると、これらの予想に関する学術論文も見られる。読み掛けたが、理解するのに時間を要しそうだし、ハマりそうなので中断した。「桜の開花」の予想式もさらに改良されているようだ。

(参考資料)①気象庁「さくら開花予想方法について」、②ホームページ「桜の開花予想、国が認めた"魔法の公式"」、③同「桜の開花予想に関する考察」 他
                                (2019年3月29日)

(追記)
 29日に上記をアップロードしたら、翌日の新聞に「開花予測正確に? ソメイヨシノ ゲノム解読」という記事が出ていた。開花する際に働く遺伝子が分かり「研究が進めば、正確に開花時期が予測できるようになるかもしれない」という。「開花にはフロリゲンと呼ばれる遺伝子が一部関わっていると判明。フロリゲンの働きを抑制している別の遺伝子の働きが冬以降、長期間の低温にさらされて弱まりフロリゲンが働くようになるなどして開花に向う可能性が高いことが分かった
」とある。今後「開花時期を特定できるように研究を進める」という。
 経験則に基づく数式で自然現象を言い当てるのに比べ、この記事はより本質に近づいていることを示していると思う。が、ゲノム解読により本当に正確になってしまったら面白くも何ともない。開花予測に関して言えば誤差のある数式程度が丁度良いように思える。

                                (2019年3月31日)


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4.絶対得票率

 沖縄の辺野古米軍新基地建設に必要な埋め立ての賛否を問う県民投票が2月24日行われ、結果が示された。3月1日付けの沖縄県公報を見ると、投票資格者総数は1,153,600人、投票資格者総数の4分の1は288,400、投票率は52.48%で投票者数は605,396人、有効票数は601,888票、そして賛成が114,933票、反対が434,273票、どちらでもないが52,682票とある。各得票率は書かれていない。
 投票者数に対する反対は71.7%、有効票数に対する反対は72.2%で、いずれにしても7割以上が反対という重い結果になったが、注目は反対が投票資格者総数の25%(4分の1)をどれだけ越えるかどうかにあった。つまり「絶対得票率」で、この値は37.6%(434,273/1,153,600=0.3765)であった。
 これは「辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票条例」の第10条(投票結果の尊重)2項に「賛成又は反対のいずれか多い数が投票資格者の4分の1に達したときは、知事はその結果を尊重しなければならない」、3項に「前項に規定する場合において、知事は内閣総理大臣及びアメリカ合衆国大統領に対し、速やかに結果を通知するものとする」とあるからだ。
 37.6%をどう捉えるかは主義主張の立場により異なる。産経新聞は「47.52%が棄権」「6割以上が明確に『反対』の意思を示さなかった」と報じたというし、公明党の代表は「絶対得票率という点では反対の票は38%程度にとどまった」と発言したという。反対は「大したことではない」と言っているように思える。
 東京新聞のあるコラムは「なぜか突然、絶対得票率を使って反対派が県民有権者全体の中での少数派であることを浮き彫りにしようとした。最低投票率がされていない選挙では、棄権者はカウントしないのがルール。全有権者中の一部の意志だなどと言い出したら、安倍政権だって正統性がないことになる」とある。
 因みに、先の2017年10月の衆議院選挙と、民主党が政権を奪った2009年8月の衆議院選挙のデータを調べてみたら次のようであった。

【2017年10月】
 ・有権者総数:106,091,229、投票総数:(小選挙区)55,422,089、
                     (比例区)55,757,552
 ・自民党得票数と率:(小選挙区)26,500,723(47.8%)、
            (比例区)18,555,717(33.3%)
 ・自民党絶対得票率:(小選挙区)25.0%、(比例区)17.5%
 このような数字で自民党は議席数465の内、284(61.1%)を占めた。

【2009年8月】
 ・有権者総数:103,949,442、有効投票総数:(小選挙区)70,581,680、
                       (比例区)70,370,255
 ・民主党得票数と率:(小選挙区)33,475,335(47.4%)、
            (比例区)29,844,799(42.4%)
 ・民主党絶対得票率:(小選挙区)32.2%、(比例区)28.7%
 このような数字で民主党は議席数480の内、308(64.2%)を占めた。

 新聞のコラムはこれはこれで正しい意見だと思うのだが、議員を選ぶ選挙と政策の賛否の投票とは性格が違うようにも思う。前者は選挙制度に多分に影響され、結果、1票でも多い方が当選する。一方、政策選択は「4分の1」ルールというのがあるのか知らないが、例えば多くの団体等で案件の可決条件は、会員の半数以上の出席で且つ出席者の半数以上の賛成で成立する、というのがある。先の「県民投票条例」の「4分の1」も半数の半数という論理で、説得力はあると思えるのだが。
                                (2019年3月18日)


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3.生まれ変わったら尺八演奏家になりたい

 私にとって、尺八への思いは強く長い。
 尺八の音色に興味を持ったのは中学生のときだった。大学の休みで帰省した兄が尺八を持って帰って吹いていた。私は竹やぶで竹を取り、形をまねて作った記憶がある。勿論ほとんど鳴らなかったと思うのだが。
 その後、親戚にあった尺八を借用し、見よう見真似で吹き、大学生になってからは下宿でも少し吹いていて、徐々に尺八への思いが強くなっていった。卒論では思い切って「尺八の音色を分析したい」と電子回路の先生に申し出たら、びっくりしながらも「指導はできないがやってみたら。芸大の先生を紹介するよ」と少し検討違いのことを言われた。卒論は「音色を分析して人工的に尺八の音を出す」ことにあった。尺八教授の看板を見つけて録音させていただき、オシロスコープに波形を出し、写真を撮り、物差で波形を計って周波数分析した。それをもとに発信器を作成し、調整している間に時間切れとなった。
 就職して間もなく、立川の街中を歩いていたら尺八教授の小さな看板を見つけ、直ぐに飛び込み入門した。都山流だったが、それを意識したのは少し経過してからだった。同時期にはじめていた英会話学校は3回通ってやめたが、尺八とその関係者との付き合いはその後長く続くことになった。
 尺八の先生(師匠)の所には週1回、はじめの5年位は本当に足繁く通った。稽古が終わるとよくお酒が出て、独身者にとっては嬉しい限りだった。稽古で思ったような指裁きや音色が出ないと門人仲間とよく議論した。お琴(筝)の社中とは合宿に何回も行った。今思い出しても楽しい時期だった。
 尺八の資格も、初伝、中伝、奥伝、皆伝と昇級し、中伝になったときは先生から「秀水」の竹号をいただいた。演奏会の出演プログラムに「山口秀水」と印刷され気分が良かった。そして「准師範」の試験では楽理と吹奏の実技があったが、楽理の勉強も楽しかった。試験会場には後に人間国宝になる山本邦山(1937~2014)がいたのを覚えている。その後「師範」になり、「秀水」改め「峰山」となった。山本邦山に憧れて敢えて「峰山」の名を選んだ。入門してから7年後のことで31歳になる頃だった。この頃流派の本部でお家騒動が発生し、所属する支部も影響を受け二派に分裂した。この分裂で練習にも影響が出るようになり、年寄り達の行動に仲間達と呆れ、怒ったこともあった。
 さらに7年後には「大師範」をいただいた。38歳頃だった。しかし、それより前から先生と少しずつ距離を置くようになった。理由は先生とのちょっとした葛藤みたいなもの、それに思うように「吹けない」(指が動かない・良い音色が出ない)ことや仕事の忙しさなどもあった。師範から大師範に7年を要したのはそのようなことと無関係ではなく、私の方から遠慮していた。自然、先生の家に行く回数は減っていったが、年に何回かある演奏会には出演していた。それが、40代後半になり、50代になるとさらに先生との関係は遠のき、演奏会の出演も選ぶようになり少なくなった。
 一方で弟子を持つ機会もあった。私より20歳以上若い市内の人で2年ほど初歩から教え、中伝の免状と「峰月」の竹号も与えた。45歳頃だ。また一時期尺八作りにも熱中した。実家の竹藪で竹を採って作ったがこれはうまくいかず、加工前の尺八用の竹を購入して作った(そういう竹も売っている)。作り方は結構勉強した。歌口舌面に角(補強材)をはめ込むのも素人にしてはうまく作り、穴明けはボール盤を購入して行い、管内は本漆でなくカシューを使って塗った。出来栄えは第一作にしてはよく鳴り、床の間に飾って楽しんだりした。50歳頃のことで、定年後は「四国の山に行き尺八作りをする」とうそぶいていたが、本気な部分もあった。
 若い頃の吹奏の曲は古曲や本曲が多かった。悩ましかったのは筝との合奏で、筝がどこを弾いているかわからなくなることだった。極端に言えば古曲のテンポは緩急自由自在で、前唄・手事・後唄などの曲の場所にもよるが、流派・奏者・気分・場所などによっても変わる。吹奏は流れに乗れれば良いが、一度外すと音感の鈍い者にとっては筝がどこを弾いているかわからなくなることがあるのだ。自衛策は、どこでどういう筝の音が入るかを尺八の譜面に記号で書いておくことになるが、これとて完璧にはならない。
 そして昇級するに従い新曲も増えてきた。新曲は5穴の尺八では難しい指使い(例えば、穴を少しだけ開けるような奏法が連続する場合)、難しい拍子、速いテンポなどが多く、とても吹けないと思う曲が多くなってきた。努力の範囲外と思うようになった。要は音感が鈍く、リズム感に乏しいということで、いつしか尺八吹奏の限界と思うようになった。それでも聞くのは楽しかった。

 勤続30年で少し長期の休みが取れて、東北に旅行に行ったときに考えた。それは尺八に対する取り組み姿勢の転換だ(少し大袈裟!)。吹奏の技量が限界なら、「尺八の構造や音律、それに歴史を徹底して勉強しよう」と。尺八を諦めることは自分の今までの人生を捨てるように思えたのだ。歴史好きと少しの数学好きが転換を助けてくれた。それからは尺八に関する多くの文献を通勤電車の中で読み漁り、休日はそれをまとめ、より深く知ることに努めた。丸4年かけてまとめたのが、『尺八の歴史と音響学』(330頁、私家版)であった。1年程「寝かせた」上で、この本を正式に出版しようと、ある出版社に持ち込んだ。邦楽関係では本格的な本を出版しているところで、出版するならここと決めていた出版社であった。件の本を読んだ社長は二つ返事で、「出版しよう」と言ってくれた。但し「数式の部分は除いて」とも言われてしまった。60歳までにきちんとした本を一冊出版したいと思っていたが、60歳の誕生日の一週間前に完成したのが、『尺八史概説』であった。出来上がった本はハードカバーで気に入った一冊になった。出版社から山本邦山が書いた本より評判が良いと言われた。

 定年後は地元の三曲会に所属して年一回の文化祭に出演していたが、数年前それもやめた。和算と古文書をきちんと学びたいというのが自分への言い訳だが、肩も痛く思うように吹けないというのが実際のところであった。今までの尺八の譜面を数えたら凡そ350曲程あった。今では自宅で吹く短い歌謡曲が主体になってしまったが、たまに聞く古曲や本曲、それにいつも聞くようになった尺八による歌謡演歌を聞いていると、本当に尺八は「いいなあ」と思い、日向ぼっこの縁側で、生まれ変わったら尺八演奏家になり、古曲・新曲・本曲を自在に吹き、余興で尺八道中演歌も吹きたい、と思ったりしている。
         (2019年3月7日)



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2.児童養護施設を出たあと

 2019年2月25日東京都渋谷区の児童養護施設で、46歳の施設長が刃物で刺され死亡するという事件が発生した。犯人は同施設出身の22歳の男で、「施設に恨みがあった。施設関係者なら誰でもいいと思い、殺すつもりで刺した」と供述しているという。被害者の施設長は施設の内外から厚く信頼されていたという。

 私はこの事件を知り、勿論驚いたが同時に様々なことが脳裏をよぎった。
 我が家で児童養護施設の子供を時々預かるようになったのは今から16~17年前。それは東京都のフレンドホーム制度を利用したものであった。幼稚園・小学生の頃は頻繁に来て泊まり、家族と旅行に何回も連れて行った。中学生になっても高校生になっても、来れば一緒の布団で寝た。今ではその子は大学生になり正月ぐらいしか会うことはなくなったが、時々思い出し、どうしているのかと思ったりしていた。児童養護施設は身近なことであった。

 一般には児童養護施設に居られるのは18歳までと言われる。犯人は18歳で施設を出て、施設側が保証人となりアパートに入居。一ヶ月半程正社員として働いたが仕事を辞めたという。何があったかはわからない。その後家賃の滞納などの為にアパートを退去させられた。この時トラブルになり施設の職員が対応したという。施設に恨みがあったというのはこの時のことを指すらしい。その後はネットカフェで寝泊まりしていたという。
 あまりにもわかりやすく、予想さえできるストーリーだ。犯人を責めることは簡単だが、それでは問題は解決しないのではないか。

 児童養護施設とは、親のいない児童、虐待されている児童や家庭の事情により親と一緒に暮らすことができない子供が暮らす施設だ。その施設は全国に約600ヶ所あり、約3万人の子供が施設で暮らしているという。施設の規模は20人以上の児童が暮らす大舎、13人~19人が暮らす中舎、12人以下の小舎の3通りあり、大人の指導員や保育士、栄養士等様々な専門職の職員とともに生活をしているともいう。
 我が家が関係した子供の施設には100人近くの子供(幼児から大学生まで)がいたが、そこでの生活は傍(はた)から見ると恵まれていた。それは物のハード面でも、指導員や友人などの人間関係のソフト面でも配慮が行き届いていたように思う。それでも施設だけで育つことに不安を持った施設側は、先のフレンドホーム制度を利用して一般家庭の体験をさせるようにしていたということだ。
 施設にも依るだろうが、18歳までは比較的恵まれて育つようだ。問題は18歳で世の中に出てからにあることは明らかだ。昔は子供が家を出ても、職人になるなら親方の家に住み込みで働ける世界があった。そこは大人が守ってくれる世界でもあった。上下関係や仕事の厳しさはあっても後に役立つことも多かった。会社に入れば寮もあり結婚するまでは集団生活も経験でき、子供は守られて来た。
 今はそのようなことは望むべくもない。施設出身者は18歳で世の中に出ると誰も守ってくれない。施設の職員や学校のサポートなどでしっかりと自立できる子も勿論多いとは思うが、一度仕事でつまづき職を失ったら住む所もなく、食べるのも事欠くようになる確率は高い。18歳までにどのような教育をすべきか、施設を出てからのサポートはどうあるべきか、オープンに議論され改善されなければならない。政治の問題でもあろう。

 妻はよく、「日本は里親、養子縁組が普及していない」、「子供は社会全体で育てなければいけない」というようなことを言う。フレンドホーム制度にエントリーしようと言い出したのも妻で、私はただ引きずられただけであった。だが実際に経験すると自分の子供たちは勿論、その配偶者や孫たちとも仲良しになり、人の輪は広がり楽しいものになった。

 外国では事情が大分違うと妻が言うので、調べると次のようなデータをネットから得た。
 
   アメリカでは保護が必要な児童のうち、77%が里親の元で育てられていて、
   オーストラリアは93%、イギリスは71%で、日本はわずか12%。

 日本で里親制度が普及しない理由として、「実親が里親より施設へ預けることを希望することと、児童相談所が施設への預け入れを優先するため」とのことで、実際の家庭環境に近い里親制度の普及が課題となっている、ともあった。
 社会全体が少しギスギスし、余裕がなくなり、個人主義がはびこっている中、大人が考えなければならない問題だと思うのだが。

(参考)東京都のフレンドホーム制度
 東京都が乳児院や児童養護施設(家庭で生活することができない子供たちが生活している施設)にお預かりしている子供を、夏休み、冬休み、土曜日、日曜日、祝日など、学校がお休みの期間に、ご都合の良い数日間お預かりいただくのが「フレンドホーム」です。お預かりいただく子供は、都内の乳児院や児童養護施設で生活している、おおむね1歳から12歳ぐらいまでの子供です。(対象は18歳までです。) (東京都のホームページより)
                               (2019年2月27日)



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1.いじめ問題を考える

 2011年10月に大津市の市立中学2年の男子生徒が自殺した事件について、2019年2月19日大津地裁の判決が出た。自殺したのは「いじめ」が原因だとして遺族が加害者の同級生3人と保護者に損害賠償を求めた判決で、地裁は「いじめが自殺の原因になった」と認め、満額に近い賠償額の支払いを命じた。男子生徒の父親は「主張をほぼ100%認めてもらえた」とハンカチで涙を拭いながら語ったという。
 判決は、加害者2人は生徒の自殺を
予見できたとし、加害行為と自殺の因果関係を認めた。ここまで踏み込んだ判決は珍しいとも思うが、事件はそれだけ悲惨で深刻だったともいえる。いじめ訴訟ではいじめと自殺の因果関係を立証する客観証拠を集めることが難しい。この訴訟では心理学や精神医学の学術論文も含めて証拠は500点にも及んだと記事にある。被害者側のこの面での負担の大変さもわかるというものだ。
 このニュースの記事を読みながら事件のことをネット検索して調べると、当時のことを少しずつ思い出した。悲惨としか言いようのない事件だった。言葉による暴力や仲間外れにするといった「いじめ」を越えた「傷害事件」そのものではないかと思ったことが甦る。閉鎖的な学校でおきれば傷害事件もいじめとなり、問題が曖昧になり、解決は遠のく。この事件でも暴行容疑で書類送検されているが、それは結果論でしかない。
 この事件は加害者とその保護者の対応にも大いなる問題があるが、さらにもっと問題と思うのは、担任・学校・教育委員会の対応だ。それは一言で言えば深刻な隠蔽体質と調査能力の欠如であった。耳を疑いたくなるような事実も明らかになるが、その処分は呆れる程軽い。
 父親は自殺の4ヶ月後に提訴されたが、市はいじめの存在を認めながら因果関係は不明と主張したという。客観的事実は判明していると思うのに、このような対応はこの事件に限らず何回も聞き、言いようのない怒りを感じる。市の第三者調査委員会が「自殺の直接的要因はいじめ」という結論を出すと、市は一転因果関係を認め遺族と和解している。だが和解まで3年も要している。

 大津のこの事件が契機となり2013年に「いじめ防止対策推進法」が成立し、いじめが「当該児童生徒が心身の苦痛を感じているもの」と定義され、市や各学校が講ずべき基本施策として「道徳教育等の充実、早期発見のための措置、.相談体制の整備」等、個別のいじめに対して「いじめの事実確認、いじめを受けた児童生徒・保護者に対する支援、いじめを行った児童生徒に対する指導・保護者に対する助言、いじめが犯罪行為として取り扱われるべきものであると認めるときの所轄警察署との連携」等が定められた。
 しかし、法は出来てもいじめは無くならないし、教育委員会や学校の後手の対応もしばしばニュースになり心を痛める。今回の判決を伝える記事の脇に、「いじめでうつ 賠償命令 元高校同級生3人、166万円 福島地裁」という記事もあった。2日後の記事は「山口高2自殺 県検証委調査 教員いじり認識に甘さ 遺族無自覚と批判」と山口県の高2自殺問題を扱っている。「いじめ」は極めて深刻な事態になり得る性格を持ち、自殺とは表裏一体の面があるのだ。

 いじめの問題はなかなか無くならない。穿った見方をすれば学校がある限り無くならないかも知れない。いじめ防止の教育を児童に徹底すればそれなりの効果はあるだろうが、逆により陰湿になるかも知れない。人に対する好き嫌いの感情は無くならないし、児童はそれを抑制しきれないからである。

 不幸にしていじめ問題に直面したらどうするか。経験的に言えば次のような対策も一案であろう。
 まず具体的事実(証拠)を掴み、学校に素直に相談する。が、解決しない場合や緊急を要するなら、児童を無理矢理学校に行かせず、欠席させて安全を確保することも必要である。その上で要望書を書いて学校に提出する。宛先は校長・副校長・担任の先生など複数とし、いじめ被害の経過等の詳細と家族の置かれている状況を書き、加害者の特定・保護者の謝罪・いじめ防止策などの要望を具体的に述べ、文書での回答を要望する。状況によっては並行して市の教育委員会に実情を相談することも必要だろう。また、学校や教育委員会の対応の仕組みを理解するために市や学校の「いじめ防止基本方針」(制定していない学校もあるが、前述の防止対策推進法により制定されているところも多い)を読んでおくことも勧めたい。
 このような対応を取るのは、教育委員会や学校の対応が後手になることがしばしば問題になるからで、自己防衛的な面もある。ただ余程のことがない限り学校と対立するのではなく、問題解決のために味方になってもらうよう誠意をもって対応するのが良いと思う。
 このようにして解決したとしても、いじめ問題はなかなか一件落着とは行かない。学校や親同士は仮に解決したと思っても、本人同士がしっくりいかないということもある。力関係が崩れたままではしっくりとは行かず、本当の解決には時間が掛かる。被害者と加害者は離れることが一番肝心で、最低限クラス替え等が必要だとは思うが、学校の都合もあるから難しい問題になる。

 以上は対処療法的な話で限界もある。「いじめ問題」で一番大事なことは言うまでもなく、「いじめの兆候」を逃さないことである。教師も父母も周りの大人も子供への観察力を高め、早めに対応をとることが必要だ。特に児童に日常的に触れている教師や父母は、現場に遭遇したら毅然と注意すべきだし、家庭内で元気がなくなるなどの態度が不自然になったら親身になって聞くことだ。単純でないことはわかるが、無関心ではなく、少なくともそうすればいじめ問題もかなり少なくなると思うのだが。いじめは将来的にはいじめた方も傷つく。教師や父母の大人たちの指導力が問われる。
                                (2019年2月26日)



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  折々の記 目次

13.2019年の参議院選挙
         2019年7月25日12.横田基地とオスプレイ
         2019年7月23日
11.いじめ問題を考える(2)
         2019年7月17日
10.島倉千代子のこと
         2019年7月12日
9.車を運転していて思うこと
         2019年7月10日
8.布川事件の賠償請求訴訟に思う
         2019年6月21日
7.プラスチックごみ
          2019年6月2日
6.高齢者の運転事故とナルセペダル
          2019年4月26日
5.さくらの開花予測式
          2019年3月29日
4.絶対得票率
          2019年3月18日
3.生まれ変わったら尺八演奏家
         2019年3月7日
2.児童養護施設を出たあと
         2019年2月27日
1.いじめ問題を考える
         2019年2月26日
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 管理人
 山口正義。
 昭和20年埼玉県毛呂山町生れ。
 東京都羽村市に住む。
 メーカにて計測機器や通信機器の
 ソフトウェア開発・システム開発
 を長年担当。定年後地域の和算や
 歴史を調査勉強中。

 ご連絡は下記までお願いします。
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