郷土誌などに発表した歴史随想を掲載します。
宿谷氏は武蔵七党の児玉党より端を発し、鎌倉幕府の御家人として活躍した名族でした。
その本貫地は 埼玉県入間郡毛呂山町大字宿谷、爾来七百有余年・・・・・・
宿谷氏についての言い伝えなどの概説。実兄の小論
宿谷氏七騎軍団の筆頭山口氏のこと。実兄の小論
『宿谷氏の賦』より宿谷氏の事蹟を一覧で示す。実兄の小論
江戸宿谷氏は「宿谷地蔵尊」を建立した重本の弟・尹宅が初代。二代尹行は旗本で
700石まで出世したが享保3年に突然改易された。いったい何があったのか・・・
能登にも宿谷氏がいた。そのルーツを追う。
千葉歳胤は飯能市虎秀出身の江戸中期の天文暦学者。児玉空々は琴学(七弦琴)の最盛期を招いた
琴士で毛呂山町大字宿谷にゆかりのある人。二人の接点は・・・
吃安こと竹居安五郎は甲州竹居村(笛吹市)出身の幕末の侠客。嘉永6年流罪地の新島を島抜けする。
埼玉県日高市高萩出身の幕末の侠客。だが二足の草鞋。吃安を捕縛したとか。清水次郎長を呼び捨て
にできたとも。その実像に迫る。
埼玉県越生町津久根出身の幕末の粋人。江戸吉原に「寒菊尾張」を開く。故郷の黒山三滝を紹介し
道標も寄進。
東京都羽村市の禅林寺にある天明義挙の碑文は・・・
慶応2年6月武州一揆が上名栗村から発生。その様子は。
近世では秣場争論は各地で発生。古文書をもとに述べる。
実兄の「曾祖母の語った事績 飯能戦争の事」を転載。能仁寺山門前の一騎打ちを述べる。
NEW 天保14年に武蔵国入間郡で起きた差別に抵抗する騒動を概括する。
詳細は、
同名の書を書いたときの短いエッセイ。
青梅鈴法寺を巡って、虚無僧の歴史の一面を述べる。
埼玉県ときがわ町の慈光寺の銅鐘(国重文)の音色についての調査。
慈光寺は文化財の宝庫で、ここの算額は別稿で述べています。
剽軽(ひょうきん)な名前のエッセイ。
失敗をしながらの拓本採りのエッセイ。
米津家(よねきつけ)大名墓所、高橋下総とは誰か、外1編
毛呂出身の草莽の志士・国学者の権田直助に関連する二題について述べる。
飯能戦争で黒山に散った渋沢平九郎と義父渋沢栄一との関係に言及。
渋沢栄一の若き日の行動(清流峠の漢詩、比留間道場での剣術試合)等
千葉歳胤が行った円周率の計算を検証する。